世界一の孤島、物資補給船をまだかまだかと待ちながら、毎日2人てんやわんやの駐在記。
モアイ損壊事件発生。脆いから触っちゃダメよ。
兎に角旅のお役立ち情報とか小ネタとか。

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モアイさん達 -観光ポイント-
(アイウエオ順)
  • アカハンガ
    広~い集落跡と祭壇

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  • アキビ
    黄昏7体

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  • アナ・カイ・タンガタ
    鳥の絵が残ってる洞窟

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  • アナケナ
    白砂と椰子のビーチ

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  • アナ・テ・パフ
    一番長~い洞窟

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  • オロンゴ
    鳥人儀式村

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  • タハイ
    目ん玉ギョロギョロ

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  • テ・ピト・クラ
    まんまるお臍

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  • トンガリキ
    デッカい15体

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  • バイフ
    うつ伏せで寝てる8体

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  • ビナプ
    立派な祭壇

クリックすると大きくなるよ


  • プナパウ
    チョンマゲ工場

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  • ラノ・カウ
    クレーター展望台

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  • ラノ・ララク
    造り掛け約400体

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復活祭
イースター島はその名の由来になった復活祭を先週の3月27日迎えた。復活祭とは4月に行われるものだとばかり思っていたので、今年の復活祭にはついに参加することができなかった。どうやら毎年復活祭の日取りが大幅に変わるらしい。今回はこの復活祭について書いてみよう。

イースター島の名前の由来は、1722年にオランダの船が4月5日イースター(復活祭)の日曜日に到着したので復活祭の島と名づけられた、というのはイースター島に関する本なら必ず一番最初に書かれている説明だ。島のガイドとして働いている俺も当然島に来て最初に覚えて事柄ではあるが、それ以上のことは3年もいるのに調べたことがなかった。何よりも復活祭とはキリスト教の大切な祝日という以外何も知らないのでは情けないと、今回勉強してみることにした。

イースター(復活祭)はキリスト教最大のお祭りで、キリストがゴルゴタの丘で十字架に架けられた後復活したことをお祝いするものらしい。そして、イースターの日取りについてはカトリック教会は全世界で一緒にこのキリスト教最大の祝日をお祝いできるようにという趣旨で、独自の計算法を定めているので、毎年違う日に来るのだそうだ。1722年と比較して2001年からの日取りを見ると、

1722年4月05日



2001年4月15日
2002年3月31日
2003年4月20日
2004年4月11日
2005年3月27日
2006年4月16日

なるほど、今年はずいぶん早い時期に復活祭が行われてしまった、・・・知らんかった。

では、その復活祭(イースター)の日程の決め方はというと、まず、春分(教会では3月21日に固定)を計算の基点にし、その春分の後の最初の満月を探す。その満月の後の最初の日曜日が復活祭、となんとも複雑なもの。

ちなみに、復活祭の前40日間を四旬節といい(これはキリストが荒野で断食をした40日間になぞらえたもので、この間は肉食を絶つ)、さらにこの前の数日間を謝肉祭(カーニバル)と呼び、大騒ぎをするとのこと。

今日はひさしぶりに結構勉強した。
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| 2005/03/31(Thu)20:16 |
| [徒然日誌(雑記帳)] |
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残念無念
日本では愛知万博が始まったようですね。
丁度愛知からのお客さんがいて「そう言えば…」と思い出したので、早速HPを見てみました。

余談ですが、我輩が使っているパソコンの接続速度、驚くなかれ、早い時で30Kbpsと異常に遅いんです。だから万博のページ開くだけでもやたら時間かかりました…
「光」とか言ってる日本では信じられん速度でしょ?

今回のテーマは"自然の叡智"だそうですね。
こりゃあ大自然が殆どそのまま残るラパヌイは持って来いだ、しかも日本人が好きなモアイもあればきっと

『イースター島パビリオン』

とか、

『モアイの謎に迫っちゃうよんパビリオン』

なんてのがある筈だと探してみました。

もう35年も前の話ですが、大阪万博(1970年)にはしっかりモアイ(顔だけだったみたいですけど)が出展されていますし、その12年後、1982年にも1体(この時は小柄ですが完全体)来日しています。
現在来島される日本人の数は鰻上りですし、お呼びが掛からない筈は無いでしょう。

ですが幾ら探しても無い、無い、何処にもありません。
海外のパビリオンが集まるページ、オセアニアのページ、もしかしたらと思って北中南米のページも見ましたが、モアイの『モ』の字も見当たりません。

おっかしーなーと思って『公式参加出展国』内を探しても、やっぱり『チリ共和国』とは載ってないんですよね。

確かに『モアイ』と簡単に言ってもやっぱり重いですし、何よりも前回、前々回と違い重要な世界遺産に登録されてしまっていますから、そう簡単には持って行けなかったのでしょう。

そういえば島内でも「出展される」噂は全く無かったですし、モアイくん今回は来日しそびれてしまいました。残念。


本物のモアイに逢いたい方は頑張ってラパヌイまで来てくださいね♪
| 2005/03/30(Wed)20:13 |
| [徒然日誌(雑記帳)] |
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おらが村興し
昨日、月曜日から、我輩が居るハンガロアホテルのロビーにて村役場主催の会議が行われています。

今回の会議には、島に存在する全ての産業について、今まで個人が好き勝手にやっていたものを、制度を設けてもっと能率を上げよう、もっと確実に運営していこう、という村長の呼びかけの下、多数の島民が集まってきています。
誰でも参加は自由。
ということで、我輩もチラッと除きに行ってみました。

開催時間は19:00~。昼間は皆仕事で忙しいので、それを考慮しての時間設定だそうです。
会場内は観光業、農業、漁業というように幾つかのブースに分けられ、皆真剣に論議しています。
知り合いが居たので漁業ブースの席に腰掛けると、早くも熱いバトルが繰り広げられていました。

漁師A「こないだよ、オイラが網引いてた時おめ~の舟が横通ったろ?あれで網破けちまったんだよな~。」

漁師B「そうけ、全然気付かなかっただよ。あんれ悪いことしちまったな~。勘弁してけろ。」

漁師C「そうだよな、地引きやってんのってなかなか気付かないもんだよ。何かそれを防ぐ巧い手はね~かい?」



何だか長くなりそうなので、今度は農業のほうに移ります。
こちらも唾を飛ばし合っての大討論会。

農家のオヤジA「乾季って水少なくね~か(我輩注:だから乾季って言うんだよん)?雨溜めるタンクにもなかなか水溜まんね~し。ちょっと参るよな。」

農家のオヤジB「皆で金出し合って井戸掘るってのはどうだ?そんでよ、共同で管理すりゃえ~べ。」

皆「いいね~」

呆れないでください。本当にこんな感じ。
何だか素人でも解かりそうな事をあーだこーだ言っていました。

今までイースター島の主要な産業と言ったら観光しかなかったんですね。
で、以前書いたようにまだまだ改善の余地はゴマンとあるけれども、観光業は他と比べ比較的整備されています。
他の産業となると組合もなければ規制もなく、本当によくやってこれたな、というような状態だったようです。

実際、
・魚を観光客用にレストランやホテルに卸すと殆ど残らないので、島民は細々と鶏肉を食べるしかない(しかも本土からの冷凍空輸だから鶏肉もバカ高い)
・生鮮野菜も自足すら出来ておらず半分以上本土から持ってくる為新鮮なものが手に入り難く、レストランのサラダが異常に高い(チリ本土でセットメニューを食べるより高いんです)
等が現在進行形の問題です。

この会議、来週の月曜日まで続く予定。
これを機に島の生活が向上する事を、我輩だけではなく住民全員が願っています。

今の生活ではエンゲル係数メチャ高です。
何が困るかって食事に金かかるのが一番困りますわ。


※因みにこの会議の為、ホテルで毎週催されていたダンスショウは「MAHATU(マハトゥ)」というレストランに場所を変えて催されています。悪しからず。
| 2005/03/29(Tue)20:21 |
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またまたラパヌイ爺さん
しつこく昨日の続きです。

今度はオロンゴの崖中腹というとんでもないところにある『AHU RIKI-RIKI(アフ・リキリキ)』という祭壇に纏わる唄です。
この唄は前回のものよりずっと有名で、
『'I HIVA OTI NGA UKA』
(多分『ヒヴァからの少女』とか、そんな感じ)
という名前で知られています。
島のダンスグループ『KARI-KARI(カリカリ)』がこの唄でよく踊ります。

昨日のを見ていない人の為にもう1度。
赤字がラパヌイ語
青字がスペイン語訳
緑字が日本語訳
です。

'I HIVA OTI NGA UKA
De “HIVA” vinieron las dos muchachas
ヒヴァ(※1)から二人の少女がやって来た

ATORIA HO'I ATA
Hijas de “ATORIA HO'I ATA
アトリア・ホイ・アタの娘達だ

E AHA 'ANA
¿Que estan haciendo?
一体何してんのかな?

'E URU RUPU KAO
Estan haciendose moños
髷を結ってるんだ

ATA RANGI ANA
En el espejo del cielo
空の鏡を覗きながら(※2)

'E TOMO TO MO PUKAO
Cogiendose el cabello con las manos para hacerse el moño
髷を結う為に髪を手に絡めながら

VERI HIVA ANA
Bellos como “HIVA”
ヒヴァのように麗しい

I TE MOTU OTI AU
Cuando llegé al “MOTU”
モトゥ(※3)に行き着いた時

KAU-KAU OTI AU
Nadé
(私は)泳いで来た

HOPU-HOPU OTI AU
Bañé
(私は)ずぶ濡れだった

I TU'A OTI AU
Y, llegé atras
(私は)そして(祭壇の)裏に辿り着いた

I AHU RIKI-RIKI
A “AHU RIKI-RIKI”
アフ・リキリキ

HAKA HINGA-HINGA ANA
Donde botaron
打ち捨てられてる

I TE MOAI
A los “MOAIs”
モアイ達が

KO VOHUE KO HANGA
“KO VOHUE” y “KO HANGA
コ・ヴォフエとコ・ハンガ(※4)と云う

TITO KE KERE MATA PEA E
Ellas tatuaron los “MOAIs”
彼女達はモアイに傷を付けた

KA NGARORO KI HIVA
Y se perdieron hacia “HIVA”
そしてヒヴァへの帰り道がわからなくなった

(※1)『ヒヴァ』とは言い伝えに登場するラパヌイ人が元々住んでいた国。故郷。
(※2)空が映った水溜りを利用して、という事。
(※3)『モトゥ』は小島の事。恐らくオロンゴの先にある無人島のどれか。
(※4)2つともモアイの名称。

と、このままだと訳が解からん部分が沢山あると思うので、我輩の勝手解釈を下に付けます。

ヒヴァからやって来たアトリア・ホイ・アタの娘二人が水溜りに姿を映しながら髷を結っていた。彼女達は故郷のように美しく高貴であった。
ずぶ濡れになって小島へ泳ぎ渡り、終にはアフ・リキリキと云うモアイが打ち捨てられた祭壇の裏側に辿り着いた。彼女達はそのモアイに悪戯書きをしてしまった。
こうして神、或いは精霊の逆鱗に触れてしまった所為であろう、彼女達は二度と故郷へ戻る事が出来なくなった。


こんなとこですかね。

今回も西語訳協力はエミリアさんでした。

パパ・キコ爺さんも有難う。

今度行った時は何か喰わせてねん。
| 2005/03/28(Mon)20:16 |
| [徒然日誌(雑記帳)] |
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続・ラパヌイ爺さん
お約束通りパパ・キコ爺から教えて頂いた唄を紹介します。

先ずは『AKAHANGA(アカハンガ)』の部族に伝わる唄です。
『AKAHANGA』の祭壇は島の南海岸沿いにあり、通常の終日観光では2つ目に寄るモアイが沢山寝ているところ。

赤字がラパヌイ語
青字がスペイン語訳
緑字が日本語訳
です。

KO HARO RE KOE E TE MOAI E
Tiren el “MOAI”
モアイを引っ張れ!

KA TOTO’I A TE ARE NUI E
Acostado tirarlo por el camino largo
寝かせて長い道のりを引っ張ってけ!

MO MA’U MO HAKA TU’U I TE MOAI I RUNGA I TE AHU E
Para llevarlo y lavantarlo sobre el ”AHU”
アフ(祭壇)の上まで持って行って起たせちままえ!

I RUNGA I TE AHU O URA URANGA TE MAHINA
Arriba del “AHU KO URA URANGA TE MAHINA”
ウラ・ウランガ・テ・マヒナ(※1)のアフの上まで

西語訳はEMILIA TEPANO(エミリア・テパノ)さんという現地ガイドにお願いしました。深謝。

(※1):祭壇『アフ・ウラ・ウランガ・テ・マヒナ』は『アフ・アカハンガ』の西隣にあります。
因みに『ウラ』とはラパヌイ古語で、『赤い』という意味。『ウラ・ウランガ』で『真っ赤っ赤な』というような意味だそうです。
また『マヒナ』は『月』。
という事で、『ウラ・ウランガ・テ・マヒナ』とは『紅い月』となるそうです。

これはモアイを運ぶ際の掛け唄だそうです。唄の名前はちょっと思い出せないとか。

モアイの運び方にも
「建たせたまま運んだ」
だとか、
「うつ伏せにして運んだ」
と様々な説がありますが、この唄に因ると横に倒した状態で運んだみたいですね。
ま、モアイの大きさや部族で運び方が違ったのかも知れませんが。

いやー、勉強になるなー。

もう1曲はまた明日。
勿体無いから小出しにします。
| 2005/03/27(Sun)20:46 |
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テ・ス・ト ボンバイェ
ども、「我輩」です。
なんだか面倒になってきたので普通の文に戻します。

いきなりですが、昨日テストを受けてきました。

去年からガイド連中で何度も会議が行われてきて、島のガイドの質を上げる為、またポッと出の訳のわからん説明をするガイドを排除する為等の理由で、ガイドライセンスを発行しようという流れになりました。
その被発行者を定める為という名目のテストが初めて行われたのです。

今までラパヌイには所謂ガイドマニュアル、ガイドをするに当たっての基本知識というものが定められていませんでした。
と言うのも、この島の歴史となると文字で残っていない為(ロンゴロンゴがありますけどこれはまだ解明されていないので措いといて)に、殆ど言い伝えに頼るしかないんですね。
更にこの言い伝えが何種類もあり、言っている事が少しずつ違ったりする。どの伝承に重きを置くかに因って同じツアーでもガイドごとに説明がちょっと違うのが現状です。

これは仕方のない事ではあるのですが、問題でもある。
わかり易く旅行者の立場で説明します。

例えば1日目に「鷹之鶴」というガイドに付いてまわったとしましょう。勉強熱心、努力家のガイドなので説明もバッチリ。
何となく昔の事がわかったような気がしてきました。

ところが「鷹之鶴」は次の日、足を故障してしまってダウン。どうしてもツアーに出られない。

そこで助っ人として「猪木」がガイドをすることになります。
「猪木」も鍛え上げられた肉体の持ち主で人望もあり、とても人気のあるガイドです。
ですが独自の説に走りたがる癖があり、前日に受けたガイド内容と随分違います。

気になって訊ねてみると、

「伝説がいろいろあるんでね、俺はこうだと信じてるよ。危ぶむなかれ、聞けばわかるさ、ダァー!」

と何だかよくわからん答え。
これじゃあ混乱してしまいますよね。

こういった事態(全然いい例えぢゃないです)を防ぐ為にも、ある程度の基本知識を統一しておいた方がいいのです。

で、仲間外れにならないように、のこのこテストを受けてきた訳ですな。

問題は全て選択式。筆記にすると汚い字で読めないからなんでしょうね。

会場にて、
まず試験官が

「とりあえず皆のレベル見たいのよね。これでライセンス取れる訳じゃないから…」

と説明。するとガイド連中

「じゃ、なんでこんなに忙しいハイシーズン中にやるんだ!」

連日のツアーで疲れきって苛立っているので、当然の如くブーイングの嵐。
結局始まるのが大幅に遅れ、クタクタの帰宅は夜の9時過ぎでした。

内容?出来具合?
聞かんでください…

どうでもいいけどモアイって猪木に似てると思ってるのは我輩だけじゃないよね?
| 2005/03/25(Fri)20:28 |
| [徒然日誌(雑記帳)] |
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モンステラ:おいしいモンスター
今回も書くネタがなくなったので、島の植物について書いてみる。最近島の友人が変わったフルーツの話をしていた。見た目がものすごくグロテスクなんだが、味がものすごくおいしいフルーツだったらしい。しかし、誰もそのフルーツの名前を知らないとか。詳しく話を聞いてみるとどうやら日本でも観葉植物としてよく見かける「モンステラ」と呼ばれる植物になるフルーツのことだった。

ネットでいろいろと調べてみると、1950~70年代くらいに世界中で観葉植物として一世を風靡した植物、道理で日本でもよく見かけると思った。大きな裂け目のある葉が特徴のアメリカ熱帯産の植物で里芋の仲間だがイモは食べられない。

学名はMonstera deliciosa、「モンステラ」はラテン語で「怪物」とか「異常」という意味で、モンスターと語源が同じらしい。それから、「デリシオーサ」はラテン語で「デリシャス、おいしい」という意味。学名に「おいしい」などと名前がつくくらいなんだから、友人が絶賛したのも無理はない。実は熟すとパイナップルに似たよい香りがし、味はパイナップルとりんごの中間のような感じらしい。

今度、機会があれば勇気を出してこの「おいしいモンスター」とやらを食してみたい。
| 2005/03/22(Tue)17:45 |
| [島の植物] |
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花粉の研究
イースター島では最近行われた花粉の研究によって、もともとは緑で覆われていた島だということが分かった。その花粉学の権威ジョン・フレンリー博士が現在島に来ている。数年前にこの学者により行われた作業は以下のようなものだった。

イースター島のラノララクとラノカウと呼ばれる火口湖の適当なところを縦に掘り、放射性炭素による年代測定をする。次に上から順に堆積物を採取して顕微鏡で観察して花粉の種類と数を調べる。花粉というのは硬い殻からできていて何百年も腐らずに残るものらしい。そして植物の種類によって花粉の形が違うのだ。

この研究によってイースター島にはもともと巨大な椰子の木がたくさん生えていたことが解明された。この木材を使ってモアイは石切り場から祭壇まで運ばれたのだろう。しかし、島の緑にも限りがある。モアイの建造に躍起になるあまり深刻な森林破壊を引き起こしモアイの建造が進まなくなってしまった。

今回のフレンリー博士の来島の目的は、島の花粉をさらに研究すること、ラノカウ火山の火口湖の底を約20m掘り下げてみたいとの意気込みだ。イースター島の歴史の謎がますます解明されることを期待する。
| 2005/03/21(Mon)12:03 |
| [島の植物] |
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緑閃光
ここ数日、ラパヌイの天気は好調であります。

本日迄滞在されていた日本人の中に、夕日を撮る者があり、

「曇ってたけど初日(木曜)にいいのが撮れたよー」

等と喜んでおりました。
ここラパヌイ、夕刻時は毎日と言って良い程西の水平線上に雲が湧いてしまいます。
宣伝用には綺麗な夕日をモアイと共に収めた写真が出回っておりますが、いざ自ら撮るとなるとこれが非常に難しい。


彼がホテルを出発した直後のことであります。
本日他の旅行者と終日観光に出掛けた我輩。クタクタの身体を引き摺りながら厨房へ向かい、友人共と談話しながらパンを齧っていた所、窓が真っ赤に燃え上がっている事に気付き申した。

これは若しやと思い、我輩喰い掛けのパンを放り出す、と云う訳にも行かずモシャモシャしながら外へと出ると、見事な迄の快晴。
太陽が一片の雲もない水平線へとまさに吸い込まれて行く直前であります。

ラパヌイに来てそろそろ一年と半年になりますが、本日程綺麗な夕日は初めて。
我輩、パンを頬張る見事な馬鹿面をお天道様に晒しながら見惚れておると、想像する程空が焼けて行きませぬ。
間も無く夕日は彼方へと落ちきってしまい申した。

次の瞬間、丁度太陽が落ちた所を中心として、緑の閃光が水平線上を左右に一瞬走ったのであります。
時間にして僅か0.5秒足らず。目の錯覚かも解かりませぬが、少し青味掛かった見事な緑色。

そう云えば島の友人がこんな現象の事を話していたなと思い出しながら、素晴らしい天体ショウに心打たれ申した。

その友人曰く、朝日でも起こるがお目に掛かれるのは本当に稀だ、との事。

何だか最近ツいてるなー。
続きを読む▼
| 2005/03/20(Sun)20:53 |
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ラパヌイ爺さん
本日我輩ひょんなことから島の大長老に会って参りました。

ラパヌイにはゴマンと物知りそうな年寄りが徘徊している(と言っても人口の大部分は若年層)のでありますが、今回邪魔をしたのは
『PAPA KIKO』
(パパ・キコ:そのまま訳すと“虚弱な肉”と云う大変失礼な意味になり申す…)
の家。島の誰もが認める語り部爺でございます。
当年とって79歳也。

書物に成っていないラパヌイの伝説を知る事が出来ればと、此方から頼み込んで態々お時間をお作り頂いた為、手土産も持参。
朝から村中走り回り果物やパンを掻き集めて出発。実は昼飯も共に済まそうと云う魂胆。

日常的な食物が喜ばれる所等はやはり田舎ならではですな。こう云った所、我輩大好きであります。

少々大き過ぎる程の袋を抱えて到着した先ではきつい抱擁で歓迎され、それまでの緊張も解れて早速談話開始と相成り申した。
長老ちと西語が苦手、ラパヌイの古語を得意とする為、現地通訳を同席させての遣り取りであります。これも初体験。

聞くとこの爺さん、何でも昔はラパヌイの伝説や伝統的な唄を子供達に教える講師であったとか。成る程皆が尊敬するのも頷ける。

実は我輩、元民話作家の息子であり、幼少の頃から爺婆共の与太話を聞かされ続けておりまして、伝説だとか昔話が大の好物であります。
一言一句洩らすまいと聞耳を立て、脳味噌をガイド時以上(?)の速度でフル回転させておりました。

我輩ちと音楽を齧っていた事もあり、暫くすると自然と話は唄の方へ。

すると出てくる出てくる。民族舞踊ショウで聞いた事のあるものや祭で歌われたもの、中には今迄聴いた事のないようなものを、爺は記憶を静かに辿りつつ、次から次へと謡い挙げて行き申す。
しかもご高齢にも拘らず、透き通った素晴らしい声であります。

惚れ惚れとして聴き入っていた我輩。通訳の一言ではっと我に返る。

「聞いてるだけでいーんかい?」

唄は古語で謡われる為、意味がチンプンカンプン。どうしたものかと間誤付いていた所、親切にも通訳が我輩のノートを引っ手繰り、ラパヌイ語と西語の訳を二曲スラスラと書き留めてくれ申した。

夢の様な時間もあっという間に過ぎ、後ろ髪を引かれつつも帰り支度を始めると、

「また遊びにおいで」

とパパ・キコ爺。
何ともはや嬉しい限り。恐悦至極。
いずれお言葉に甘えさせて頂きたく。

素晴らしい時を満喫し、心持も良く何時もの生活に戻って参り申した。
現在頂いた二曲を翻訳中。興味が無いと言われても出来次第アップ致す。

あ、持って行ったパン喰わせて貰うの忘れた…
| 2005/03/18(Fri)20:46 |
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来島3周年記念
3月14日、俺が初めてこの島にやってきて働き始めた日だ。早かったというよりは、やっと3年経ってくれたという感じがする。来た当時は分からないことばかりで、すべてが新鮮だった。子供のころからのあこがれの島、初めて見るあの有名なモアイに感動しただけじゃなく、現地の踊り、歌、ウクレレ、サーフィンなど島の文化すべてが俺をとりこにした。一年を通して過ごしやすい気候、夏の最高気温が28度、冬の最低気温が10度ほど。地震や台風などの天災もまったくと言っていいほどない。まさに天国そのもののような島だった。

こんな素晴らしい島だが、絶海の孤島だけに実際に長く住んでみるとなにかと不便なことが多い。いろいろな物が手に入りにくい。島民3800人の小さな集落でうわさが一瞬にして広がってしまうので、うかつに目立ったこともできない。人付き合いに異常なほど気を使わなくてはならない。何よりも島の外に出られないという精神的な苦痛に襲われる。島民でさえも最低一年に一回は必ず島の外に出るようだ。それだけこの島での生活は特殊な環境ということだろう。

この3年で他では得ることのできないすばらしい経験をさせてもらった。そして今度はまた新しい別の場所で新しい経験を始める時期に来たのではないかと思う。イースター島はそろそろ卒業するつもりだ。
| 2005/03/15(Tue)17:43 |
| [徒然日誌(雑記帳)] |
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サマータイム終了
日本人には馴染みの薄いサマータイムでありますが、ここラパヌイを含むチリ共和国全土では毎年採用されております。

このサマータイム、夏期の長い夕刻を活用する為にと、チリにおいては10月第2週目の終わりより翌年3月第2週迄の期間、国内の全ての時刻を1時間早めるものであります。

日本→ラパヌイの時差として見れば、

サマータイム採用期間:
日本の14時間遅れ

サマータイム以外の期間:
日本の15時間遅れ

ということに成り申す。

2005年は本日3月13日日曜日の午前0時よりサマータイムが解除されており、現在は日本との時差15時間という事でありますな。

因みに本土は現在日本の13時間遅れ。サマータイム時は12時間遅れであります。

ややこしい制度でありますがチリ訪問をお考えの皆様、どうぞお間違いなく。
| 2005/03/13(Sun)20:09 |
| [お役立ち情報]その他 |
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酒豪☆イン ラパヌイその2
先日日本酒(米国産 ○関)を手に入れた我輩。
暫く冷蔵庫中で眠ったままでありましたが昨夜それをを引っ張り出し、友人宅で酒宴を催しました。

挙った三名大酒喰らい。
一人は機械技師、一人はガス屋、そして我輩で御座います。

先ずは技師の愛妻夜食に持成され、各々腹四分程度に抑え準備万端いざ出陣。
徐に酒瓶の蓋を回しトクトクとグラスへ注ぎ申した。

肴はこの日の為にとって置いた鉄砲漬。
今回は冷で頂く事に致します。

少々鼻にツンとくる匂い。我輩一年半振りの大感激。
酒の香に酔い痴れると間も無く全員でチョビッ。

「何だか薬くせ~な」

とはガス屋のルーチョ。

「……(無言)」

何時もより渋い表情のペペ技師。

予想はしておりましたが二人の口には合いませぬ。
まぁ仕方が無いかと我輩一人でグビグビ、二杯目もグビグビ…
周りがどうであれ我輩にとっては久々の故郷の酒。ここで愉しまずに居られるか、と独り呷って居りました。

三杯目に入る頃にはそろそろ小腹も空き始め、持参の鉄砲漬に目を遣ると、これが殆ど残っておらぬ。

傍らのペペとルーチョ、

「このピクルスは最高だな」

とワイン片手に上機嫌。

酒は気に入らぬが更に癖の強い漬物には舌鼓を打つ二人なのでありました。

しかしワインと漬物って…
| 2005/03/08(Tue)20:37 |
| [徒然日誌(雑記帳)] |
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寝るラパヌイ
南米の様な西語圏には『シエスタ』という習慣が御座います。ご存知の通りラパヌイも西語圏、この習慣は深く根付いており、我輩も良くそれで悩まされております。

では一体この煩わしい『シエスタ』とは何なのか?
本来は所謂『昼寝』の事。スペインやイタリア独特の習慣であり、

「ローマ人が広めた」

だとか、

「アンダルシア地方の農民が暑くてやってられん夏の昼に寝始めた」

等に端を発する物と視られております。

このご時世、現在では正午に爆睡、と言うラテン人は少ない様でありますが、ラパヌイ共は未だに堂々とこの昼休憩を貪り愉しんでおる次第。

村内は商店をはじめ、公共施設、観光会社、殆ど全てが昼過ぎ一旦業務を停止致します。皆一目散で家へ戻り、食事を摂る訳ですな。一日のうちで昼食を最大の食事と考えるラテン人にとっては極当然の事。これはまぁ、家と職場が近いラパヌイでは致し方ありますまい。

でありますが、個人商等はこの休憩からなかなか戻って来ない。

つい先日の事。
夕方5時頃になりますと商店が開き始める時間。村のスーパーマーケット前にもお客がゾロゾロ。中には従業員も混ざっております。

我輩も何時もであれば友人と談笑しながら待つのでありますが、その日に限って超多忙。早く戻らねばとイライラしながら待っておりました。

小一時間程経ってオーナーが到着。

オーナー:「いやー、待たせてワリーね。」

我輩:「どうしたの?」

オーナー:「いやさ、あんまり気持ちいいんで寝過ごしちまって(堂々と)。」

ラパヌイ客A:「こいついつも寝てばかりじゃねーか、ガハハ!」

ラパヌイ客B:「ま、この間より早かったわな。この島にゃ急ぐような奴もいねーし。」


…平和っていいよね。
| 2005/03/07(Mon)20:23 |
| [徒然日誌(雑記帳)] |
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始業式
12月中旬から始まった2ヵ月半という長い夏休みも終わり、3月3日(木)ハンガロア村の公立学校で始業式が行われた。この公立学校は小学校生から高校生までが学ぶ、3日の始業式では各クラスの担任の先生が紹介された。

実際の授業が始まるのは明日7日(月)から。子供たちは夏休み最後の週末を思う存分遊び楽しんでいた。これから12月まで長い勉強の日々が続く。

朝8時ごろ登校して、夜7時ごろに下校する生徒の姿を観光客は目にするが、一日中勉強しているわけではなく、この公立学校は生徒の数に対して教室が少ないという問題があるので、午前中に授業を受ける生徒と午後に授業を受ける生徒に別れているだけなのだ。
| 2005/03/06(Sun)21:34 |
| [徒然日誌(雑記帳)] |
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民族舞踊
イースター島に来る観光客は滞在中に民族舞踊のショーを楽しむことができる。現在唯一定期公演があるのはホテルハンガロアのロビーで火・土に行われる「カリカリ」というグループだ。先月から木曜にも公演が行われるようになったので、週3回もショーを見られるチャンスが増えた。

このグループ、なかなかレベルの高いグループで、年に何度も海外公演に招待されるくらい。現在、カリカリの選抜チームはニュージーランドで公演中。以前にはタヒチや本土チリ、韓国にも行ったことがあるらしい。去年の8月にはパラオ諸島の民族舞踊の祭典に参加し、みごと優勝を勝ち取るというすばらしい結果を残すことができた。

なぜそれほどレベルが高いのか。技術的な面は当然のことながら、何よりもダンサーが皆心底楽しそうに踊っているところが魅力的に映る。ポリネシアの文化においてダンスや音楽は非常に重要な要素だった。何世代もかけて培われてきたポリネシアの血がそうさせるのだろう。
| 2005/03/05(Sat)22:45 |
| [お祭騒ぎ]ダンスショウ |
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焚き火
昨晩、ひさしぶりにガイド仲間と飲んできた。12月から島の観光のシーズンで忙しく、のんびりと飲む機会がなかっただけに久々の飲み会だった。島民は集まると必ずと言っていいほど男たちが火をおこし始め、そして、その火で酒の肴として肉や魚のバーベキューを作りだす。男の料理なので豪快だがそれがまたおいしい。昨日も男たちがアンティクーチョと呼ばれる肉の串焼き料理をせっせと作っていた。

現在の日本ではやたらに焚き火をすることも条例などで禁じられてしまったようだが、こちらではそんな条例が存在すること自体が信じられないと思うだろう。太古の昔から火のおかげで食事を作ることができ、暖をとることもできた。つまり火は人間の生活には欠かせないものだった。それが禁じられてしまうとは。

しかし、火が生活の中心にあった人類の経験が現代の人間の遺伝子の中にもしっかりと組み込まれているに違いない。火を見つめているとなんとなく落ち着くものである。
| 2005/03/03(Thu)09:45 |
| [徒然日誌(雑記帳)] |
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ピミー&マリア
島には友人が多いが、その中でも特に親しくしているピミーさん&マリアさん宅へ昨晩遊びに行ってきた。夏休みの間、本土チリでバケーションを楽しんでやっと最近帰ってきたのだ。チリ南部の観光地を主に周ってきたらしく、その時に撮影した写真を100枚くらい見せられ、ここがきれいだった、あの店はおいしかったなどさんざん自慢話を聞いてきた。

夏休みが始まる時と終わる時に本土で勉強している学生たちがチリ空軍の特別機で島を行き来できる話を以前書いたが、この空軍機を利用すれば島民はタダで本土チリへの往復をすることができる。ちょうど学生とは逆に、夏休みが始まると本土チリへ、終わると島へ戻れるというわけだ。

ピミーとマリア夫妻もこの便を利用して本土での夏休みを満喫してきた。普段はピミーがお土産用のモアイを製作し、奥さんのマリアがそれを売る仕事をしている。また来年の夏休みを目標にこつこつとお金を稼いでいくとのことだ。金がない金がないと普段は愚痴ばかり聞くが、実際のところは本土で2ヶ月半も夏休みを楽しめるほど余裕があるのだ。それだけ、島と本土の物価に違いがあるということだろう。それにしても2ヶ月半の夏休み、うらやましい限りだ。
| 2005/03/01(Tue)19:42 |
| [徒然日誌(雑記帳)] |
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